瀬戸内国際芸術祭2022-夏③大島(後編)・高松港周辺

大島(後編)

2022.8.17

大島(前編)より続く

 

以下、os01、03は軽症者独身寮として使われていた建物での展示

os01. 青空水族館:田島征三(2013〜)

小学生の工作のような人魚、で始まり一室、一室を廊下から見たり、部屋の中に入ったりしながら観賞。

 

os02. 森の小径:田島征三(2016〜)

入り口のアーチこそ作品であるかのようだが小径は草ぼうぼうである。

 

 

os03. 「Nさんの人生・大島七十年」-木製便器の部屋-:田島征三(2019〜)

家屋の一室、一室を使って田島さんがハンセン病患者のNさんと会って感じたことが表現されている、まるで絵本のように。ただ内容は現実にあったことであるし、壮絶。こんな時代にハンセン病であったなら、さぞ無念で、人生に無力感を感じざるを得ない。ただそんな中でも、この島では宗教を拠り所にしたり、工夫して出来る娯楽を生み出したり、先ほどの脇林さんや鳥栖さんのように写真を撮ることで生きている人もいて、視点を理不尽や出来ないことばかりに向けることなく生きていくことも教えてくれている。多かれ少なかれ人生は理不尽であるし、皆がハッピーでは現代も無いわけで、どんな理不尽に対しても悲しいかな自分に授かった人生をどう生きるかでしかない。辛い人生を受け入れられないまま苦悩して生きることもある。

 

 

 


大島青松園社会交流会館

os08. 物語るテーブルランナー in 大島青松園:鴻池朋子(2019〜)

交流会館の天井の高い休憩所のような部屋の真ん中あたりにテーブルがあり、ランチョンマットのようなものに、この島の様々な出来事が絵日記のように絵と文でそれぞれのランチョンマットに刺繍などで表現されている。下絵(紙)と布製の作品がセットで置いてある。枚数が相当ありネタが尽きないくらい色々な悲しいことがあったのだ、ということを知る。解剖台のことも刺繍されていた。作品の技術にも感心したし、やはりこの島の歴史に気持ちが重くなる。
この部屋は壁際にソファがズラリと置いてあって、一緒の船で島に来た人達が休んでいたりして、人目が気になる私には部屋の中心部や壁にある作品を観賞するのが、なんとなく居心地が悪い。彼らの視線が観賞者の動線に向かないような工夫が欲しい。

 

os08.浜辺の歌、月着陸、壁上り:鴻池朋子(2019〜)

傍のテレビから映像が流れていた、じっくりは見ていない。歌声とか。

 

os09. {つながりの家}カフェ・シヨル:やさしい美術プロジェクト(2010〜)

※営業してない、土日のみ営業とのこと。

 

os12. 物語る金の豚:鴻池朋子(new!) 

※見た記憶がない

 


港から割と手前のところに大島青松園社会交流会館があって、芸術祭の作品も展示されていたが、島の歴史や島のジオラマにより島の全体像を見ることが出来る。アートはだいたい観賞した後にこの会館に寄ったので、島を歩きながら見てきたもの、途中にあったアートの会場になっていた建物は軽症者の独身住宅であったのか、とか教会はこういう背景のもとに建てられていたのか、だとかただならぬ重たい島の歴史がそこかしこに潜んでいる、何かを伝えようとしている感じがする。ハンセン病の患者を隔離していた島、ということで家々が自然発生的に建てられている普通に人が住む島とは歴史も前提も違っていて、計画的にエリアを分けて、患者の居住区であったり病院エリアであったりと患者と職員の生活エリアをきっちり分け、宗教の会館がまとまっているエリアもあった。


島を歩き始めて気になっていたのが至る所にある拡声器から音楽が流れていて、芸術祭の期間だし音楽で島を盛り上げているのかな?と思ったりしていたが、その割にはとてもひっそりした島で、よくよく聞いていると港から歩いてしばらくは曲が「ふるさと」だったのに、どこからか曲が「乙女の祈り」に変わるエリアがあって、二つの曲が混ざってうるさいところもあったりして、一体なんで曲が流れているのだろう?と不思議になった。その答えはこの音楽は盲導鈴だということ。今もこの島に目が見えない方が住んでいるのか、或いは観光のために昔のまま、音楽を流し続けているのか分からないが、この音楽によって盲人の方が島のどこにいるかを把握する為の音楽だということだ。知ってみれば、全く人が住んでいる気配のない観光用側の地域にこの音楽が流れているというのも、過去の恨み事を訴えているようでもあり不気味な感じがする。通常の社会であれば盲の人の割合が少ないために盲動鈴を隅々まで流している場所はないのだから、病気のせいで盲になってしまった人がさぞ多かったのだろう。


os13. 声の楔:やさしい美術プロジェクト(new!) 

見落としていた作品があったことに気付き、帰りの船の時間にも間に合いそうなので引き返す。os07を見ていた時に視界に入っていた、サンルームのようになっている屋根が島の建物にしては洒落ているなと思っていた裏の丘の上の小屋が作品であったようだ。急な坂道を登った丘に建っている小屋、壁はなく白く塗った木の骨組みだけ、壁の代わりに青と白のカーテンが風の通り抜けで靡いている、建物の中央にカセットレコーダーがあり、カセットテープからはハンセン病の方の声が流れている。作品を後にして元来た道を下っていくうちにもカセットテープから繰り返し声が響いていて、時が経った今もこのひっそりとした島で亡くなったハンセン病の方達の声が島の奥から響いてくるかのようだった。

 

ワクワク楽しい観光!ばかりではなく、海外からの観光客を多いようだし国内外問わず人々の気づきになるので、こういう島もこの芸術祭に参加しているというのは良いことだと思った。

一通り作品を見終わることができたし、午後から大雨になるという天気予報だったので島から帰れなくなってもこまるので、高松に戻ることにした。

 

13:25大島港発→13:55高松港

高松港周辺

tk14.高松市美術館 「みる誕生 鴻池朋子展」

土砂降りの雨に降られて室内作品を見るしかないかと訪れ、たまたまだったけれど、大島で鴻池朋子さんの作品を見てきた後にこちらの美術館に流れてきて、順番として正解だったような気がする。「みる誕生 鴻池朋子展」は前情報として人工物(作品)と対比して天然の動物の糞(ウンチでなくクソ)が作品と一緒に並べられている、ということなので、その試みに興味津々で来場した。
私が仕事で関わった埼玉所沢のサクラタウン(角川武蔵野ミュージアム)の、外壁に以前にお目見えしていた動物の皮で出来たトンビという作品が最近の話題作なのか、まずエントランスの吹き抜け空間にバーーン、と2体居た。想像してたよりも大きい。
吹き抜け部分の壁にはこの美術館の図面も展示してあったので仕事柄(建築)一応、目を通す。吹抜け内をぐるりと見た後、スロープを登って2階の展示空間に移動するのだが、途中、面白い仕掛けだな、と思ったのが作品の順路の道標のように、目線、視界に入る高さに作品から作品へ鎖編みの紐がずっと続いている。この紐を辿って作品を観賞すれば良いようだ。スロープの部屋は薄暗く、2階へ上がるためのスロープなので距離が長くて半分で折り返している。ここにも壁にタブレットが設置されていて、大島?の自然の動植物が映し出されていた。鳥の声も確かしたような。ここからもう自然と人工の対比が始まっている?展示室に入る前の廊下に2作品。展示室では鴻池朋子氏の作品ではなく、テーマも作者も無作為に選ばれた、という作品が壁面や床に展示されていて、その合間に時々、色々な動物の糞(模型)が置かれている。糞の匂いがしてきそうなリアリティがある模型、ただし色は材料の色のまま?なので、実際匂いはしないし森から拾って来た本物でないことは分かる。何個か作品を見たあとにアライグマ、ツキノワグマ等の野糞、がぽつりぽつりと置いてあってふっと感情が変わってしまって拍子抜けする。
次のゾーンに行く通路に、オオカミ?キツネ?の体からまるまる毛皮を剥いだものが10匹位密集して尻尾が上、顔が下で皮の下端が観賞者の上半身に被るくらいの高さで暖簾のようにぶら下がっているので、毛皮と触れ合い、触り、退けながら次の空間に進む。
ここからが本格的に鴻池氏の作品。
平面の大作(近くで見ると表面を彫刻刀で削っている)、何十枚もの鉛筆画の絵本の物語、先程のトンビのような皮を使った作品、野糞の模型などアートの表現手段が多岐に渡り、また表現したいことがこれだけあるという圧倒的なパワーに感動するし、自分の心が見えていて表現でき、表現する手段を磨いて来ていることが羨ましい。
中でも印象に残っているのは鉛筆の原画の作品でストーリーを追って見れば見るほど引き込まれて、鉛筆の線のタッチでここまで自在に世界を作れる画力に、自分も過去に鉛筆デッサンを学んでいた時期があったが、デッサンの技術も中途半端、自分らしい絵を描くことも出来るようにならないまま、社会人になってプッツリと絵を描かなくなったことなどを思い出して、複雑な気持ちになった。

 

島にばかり目が行って、高松にある美術館などにまだ殆ど行けていない。
イサム・ノグチ庭園美術館もあるようなので今度行きたい。

 

* * *
今日は名物骨付き鳥が食べれる居酒屋に行こうと思っていたけど疲れてしまったので、またスーパーのお惣菜を夕飯とする。
雨天を想定して長靴(ヒール付き)を履いてきてしまっていて足が痛い。高松で履物を買おうと思ったが気に入るものがなかった。
2日目、終了。

 

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