瀬戸内国際芸術祭2022-春②豊島

 

2022.5.1

豊島

唐櫃浜エリア
9:07高松港発→9:57豊島-家浦港に着くなり、バスで唐櫃港まで。唐櫃港は島の北東部。

te15-B.心臓音のアーカイブ:クリスチャン・ボルタンスキー (2010〜)

2010年の時、帰りの船の時間の関係で諦め、見れなかった作品を今回やっと見ることができた。豊島でぜったい見たかった作品二つのうちの一つ。
ボルタンスキーさんは去年(2021年)に亡くなられている。
唐櫃港のバス停から徒歩で15分程度、人家を抜けて林の奥の海辺に小さな小屋があった。その小屋に、①心臓音に合わせて電球が点滅する部屋、②録音された心臓音を検索して聴けるスペース、③自分の心臓音を録音してもらえる部屋、がある。ガイドブックなどにも写真になっている心臓音に合わせて電球が点滅する部屋は、それ以外一切の照明がないので照明が光る一瞬だけ同時に部屋の中にいる他の鑑賞者の輪郭が見える。その一瞬と僅かな声を頼りにぶつからないように電球の方に進んで行ってみた。奥行きが長い部屋の両側の壁にはには額縁?鏡?のようなものが無数に貼り付けられている、先に鑑賞していたカップルが出て行ってしまい自分だけがその部屋に残される状態になると点滅の光が消えた時のあまりの暗闇に怖くなってきてしまって、ゆっくり鑑賞して細部まで見るのが難しく、ある程度で出てきてしまった。暗闇の部屋の前室にはその時流されている心臓の音の持ち主の名前が掲示されていた。人間の心臓音をアートに使っているのがそもそも生々しいのだが、録音された心臓音を検索して聴く体験の方はさらに生々しかった。名前や録音された場所、本人のコメントが記録されているので実際に生きている人だということにリアリティがあって、その中から選んで心臓音を聴くのだが、若者から年寄りまで個々人の心臓の音がヘッドホンから頭に流れ込む。自分の心臓音なら最近更年期障害気味で夜中に心臓がバクバクして目が覚めたりするので体の内側からの心臓音なら感じたことがあるが、耳から聞く音は全然違っていた。初めて聞いた人間の、他人の心臓音は想像していたもの(そうあって欲しいという願いなのか勝手にもっと穏やかなものと想像)とは違って、心臓単体の音のように思えなくて打楽器の音でも混じっているかのような破裂音が時々聞こえたり、音のボリュームとしては力強いがなんかいつ止まってもおかしくないような不定期な不安な音に聞こえて、心臓ってこんな音なの?体に血を巡らせる為にこんな音を出してるの?人間という生き物の見ようとしないで過ごしている部分、心臓の働き、いづれ死ぬということ、なんかを考えてしまって、先程見た暗闇の中で点滅した電球のイメージとも相まって、体内の暗い場所でこんな音を出して動く心臓を想像すると、とても好奇心で沢山の人の心臓音を聞きたいという気分にはならず、3人ほど聞いただけで少し重たい気分になってしまった。人間の心臓音を聴くのは恐ろしく、私にとってはあまり向き合いたくない体験だった。ここを訪れた人は自分の心臓音を録音してこの場所に半永久的に残してもらえる、そしてCDに焼き付けて持ち帰れる、というのだが、とてもそういう気分にはならなかった。が非常に興味深い印象深い作品。

te14.勝者はいない─マルチ・バスケットボール:イオベット&ポンズ (2013〜)

心臓音のアーカイブに行く途中に、この作品はあった。広場のようなところに大陸のような形の絵にバスケットゴールが何個も設置されている。バスケットゴールの背面のボードが大陸になっている、と言った方が早いか?若者たちがシュートを決めていて人が多かったので、近くまで行って見る雰囲気でもないので遠目から見て素通りした。

 

唐櫃岡エリア
唐櫃浜から先程バスで通り過ぎた唐櫃岡集会所前まで歩いて引き返した。歩ける距離だと思ったが急な登り坂なので結構キツい。まず、途中の豊島美術館前停留所まで辿り着く。この辺りからの海への景色は絶景。

豊島美術館前の道より

登り坂の上や道路横の棚田から見る広がる海、ここまで広いと人もまばらで密集しない。自然の大きさに比べて人間なんてゴミのように小さい。棚田最上段部にはベンチが置いてあって寝転んで時を過ごしている人もいる。豊島美術館沿いの丘でもそうだけど、人々はごろごろして何をするでもなくただそこで自然と時間の流れに身を置いているだけ。
この地から更に2、3分登ると唐櫃岡集会所前バス停にまで戻れる。

 

te12-B.ささやきの森:クリスチャン・ボルタンスキー (2016〜)

まずは心臓音のアーカイブからの流れで同じアーティスト、ボルタンスキーのささやきの森を目指した。"te10.島キッチン"を通り過ぎてそこからまた登り坂あり、更に両サイドが森の山道(登り坂)を歩くこと”15分”、と案内があった気がしたが、この徒歩の時間は大分個人差が出る様な気がする、正確な時間を測っていなかったので分からないが体感で30分位に感じた。上に体にを持ち上げて歩くので息があがった。いつまで歩いても着かないと思いながら大分歩いて、最後の案内のプレートを、ここまでの道案内にあった芸術祭の青地に白文字の案内でなく、そこだけ黒地に小さい白文字だったので視界にははいったが見逃してしまい、そのまま山奥に突き進みそうになった。何かが変な気がして数歩進んで引き返したら目立たないそれが案内で、居合わせたおじさんがこっちがそうだ、と声をかけてくれた。(一瞬、私に言ってると思わなくて反応がイマイチでした、ごめんなさい知らないおじさん。)そこから先は木々を分け入る、人とはすれ違えない様な小道で足場が大分悪くなった。足元に注意して少し歩いていくと急にリーンリーンと音がしてきた。辺り一面に人の名前が書かれた透明の短冊が揺れる無数の鉄の風鈴が鳴り響いていた。苦労してここまで歩いてきたことが報われる聞いていて心地いい音色。ここまで歩いて来て森の深くまで入ることも作品の一部で、人の名前が書いてあるということはこの風鈴は人の命を象徴しているのかもしれない。虫が頭の周りに飛んで付き纏われ気になり、虫に邪魔されなければもっとずっと聞いていたかった。帰り道、行きに気づかなかったけど通ってきた道の途中で既にささやきの森からの風鈴の音が届いていた。

te10.島キッチン:安部良(2010〜)

2010年に来た時、ここには寄ったかどうかよく覚えていない。(島キッチンの手ぬぐいはお土産で買っている。)外部の飲食スペースの屋根が胸あたりの低い位置にあり改めて見てみると瓦屋根だと思っていたが素材が木の板だったことを知った。

te09.あなたの最初の色(私の頭の中の解-私の胃の中の溶液):ピピロッティ・リスト(2011〜)

島キッチンの裏手。入場人数を制限しているので少しだけ並んだ。外見は小さな蔵の様な建物の中に見上げる高さに円のスクリーンが設置してあり、そこに花や人間、生命を思わせる映像が映し出されていた。作品の解説によれば幸福感を感じる映像、とのことだが蔵の中の暗さの中でどぎついカラフルな映像を見て、幸福感とは違う感情が沸く。

te08.空の粒子/唐櫃:青木野枝(2010〜)

豊島美術館に行ったら時間が早すぎるから(予約15:00、この時13:30位)案内出来ない、もう少し他の作品を見てきたらと言われて、こちらの作品を見るために結構距離があるのかと思って豊島美術館前→清水前へバスで引き返した。作品は清水前バス停の目の前にあり、どうやら島キッチンからも歩いてすぐでバスに乗るほどの距離では全然なかった。錆びた鉄筋のような棒で出来た何個かの円が同じく錆びた棒数本で天に向かって支えられている。円を支えてる棒が円から降る何かの様にも見える。

te08.空の粒子/唐櫃:青木野枝

te13-B.豊島美術館:内藤礼 西沢立衛(2010.10〜)

豊島で今回ぜったい見たかった作品二つのうちの一つ。
事前に15:00〜で予約していたが、以前直島の地中美術館では凄く並んだ記憶もあり、遅れてはならないと思うあまり早く来すぎて14:30前からチケット売り場の横で待機してしまった。コロナで人数制限していた?のか結果的には並ぶようなシチュエーションもなくそんなに早く来る必要もなかったのだが…。
美術館というからには、普通の美術館であれば美術品が何点か展示されてるのかと思いがちだが、作品としては水滴形状のドーム(アートスペース内)の内藤礼の母体(床から湧き出る水滴)という作品のみ。非常にシンプルだけれど、その分じっくりと自分の感情と向き合うことが出来る。

 

チケットセンターからコンクリートの小道に誘導されて明神山という小山をぐるりと回っていくと海側に出て、それから少し海を背にして歩くとアートセンターの入り口に至る。アートセンターに向かうまでの小道で間を設けて、導入の心の準備をするような、わざと迂回させて海側を周り、開けた明るい空間から薄暗い狭い穴倉に入っていく明暗、広い狭いの対比だったり、より感動が高まる工夫がされている。

アートセンターの外形の形状は水滴(を大きくした)とのことだが、色は白、水滴をビッグサイズにした大きな流線形のその建物の入り口の見た目はドラえもんの道具のガリバートンネルみたいなのだが、道具と違うのは中に入ると人がまばらに散らばる大空間が広がっていた。外側の水滴形状そのままが内部の空間になっていて、(屋根というか壁というかが厚さ250mmのコンクリートで出来ているらしい)屋根に空に向かって大穴が二つ開いている。内部に照明はなく、光はその二つの穴から降り注ぐ自然光のみなので、穴の下だけが日光の光でまぁるく照らされてそこだけ舞台のように明るい。内部も白色なので穴から注ぐ自然光が今日のような晴天では仄暗く隅っこの方まで届く。水滴の形状なので真ん中にいくほど屋根が高い。床のあちこちに開いている1、2mm程度の小さな穴から染み出してくるのか所々に泉(水滴)が湧いて、小さな水滴が纏まってコロコロと流れたり、静止していたりする。水勾配が付いていて水下にどんどん流れていく、というのでもなく、流れるでもなく留まるでもなく不思議な動きをしていた。どういう仕組みなのか、2つの大穴の下の光を浴びる場所には水溜りが出来ている。2つの穴は入り口から奥の穴が大きめでメインの穴、入り口から近い方が少し小さめの穴でサブの穴?とでもいうようにメインの穴の方に人が多く集まっている。サブ穴の周りは2.3人とか。穴の下の丸い光の空間を囲って鑑賞に来た人々が、ある人は光の間近で寝転び、ある人は人だかりから離れた日陰の場所で体育座りや正座をして光と水と穴から見える空と木々を眺めたり、床から湧き出る泉を眺めたりしてる。単純のようで全く飽きない。声や音を発すればとても響くので、子供が声を出しているのは可愛らしくて許せるけれど、大人で声を出している人はこの空間の楽しみ方を理解していない。これだけ人がいるのに大人は基本声を立てないので静かで、他人の邪魔にならないように自分の心の世界に浸っているようだった。

私は例によって人との距離をとりたい方なので、人との間隔をあけるべくメイン穴の中心にはちょっとは近寄ったけど行けずに、遠巻きに周りをぐるっと歩いた。足元を見ていないと小さな丸い彫刻を蹴ってしまったり水滴の固まりを踏むことになるので注意しながら歩く。
バスの時間を気にしないで済むのならもっともっとここに居たかった。そう、何時間とかゆっくり。またいつか来たい。外の丘といい、天国みたいな場所でした。

 

***
17:20の高松港行きの最終の船に乗るべく16:08豊島美術館前→家浦港のバスに乗り16:23くらいに着いたはずだが、既に17:20発の船の整理券は売り切れたとのことで18:10発の整理券を渡されチケット売り場の列に並んだ。この列が全然前に進まないし、ちょうどギリ屋根がないところで雨が降ってくるし(傘は持っていたが前後に人がみっちりいてさすにさせない。何故か前後とも日本人じゃない)足がかなり疲れていたのもあり、これから1時間半も立って船を待つのかと思うと少しイライラする。

その分待たされて船が来た時は嬉しかったケド。ちょうど夕日が沈む時間で船内から見た夕日が感動的でした。

 

なんとか高松港に帰ってきて、雨に打たれたこともあり身体が冷えてしまっていたので高松グルメを食べる気力もなく、本日もコンビニ飯で、終了とする。

 

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