瀬戸内国際芸術祭2022-春③高松港周辺

 

2022.5.2
大島に行く予定だったが、昨日の疲れが残っていたので行かないことにした。昼位まで高松でのんびりして帰宅する。

高松港周辺

tk25.PEPER SEA:Asaki Oda (new!)

サンポート高松内、お土産公式グッズ売り場、芸術祭インフォメーションに隣接して展示。展示の場所がらか素材のせいかアート作品というより店舗の装飾の一部の様に見えサラッとしている。インパクトが薄いというか、個人的にはもう少し海の世界を作り出して欲しいような気がしてしまったが、作者の意図がこのサラリとした感じなら成功している。爽やかで可愛らしい海の世界。

tk01.Liminal Air-core- :大巻伸嗣 (2010〜)

高松港のシンボル、周囲が映り込むミラー部分もあるボーダー状にカラフルな2本のタワー。初めて芸術祭に来た2010年からここにあり、芸術祭に来る度に見ると懐かしく嬉しい気分になる。

tk01.Liminal Air-core- :大巻伸嗣

 

***

仕事から解放されて安心して生きているだけで幸せだ、ありがたい、と思うことが今回何度もあった。

まず、行きの岡山から坂出までの在来線で瀬戸大橋で瀬戸内海を渡っていた時。6年ぶりにここへ来れてまだ自分は生き続けているのだなぁ、感慨に耽り🙏感謝。(海はどうしてこんなに感動をもたらすのか?)

宿での朝ごはん、何不自由なく選べる料理が用意されていて、うどんも食べよう!カレーも食べよう!などと自分で選んだをごはんを食べている時。全ての人が誰かのためになる仕事をしてくれているから、お陰でこうして寛いでいる。🙏感謝。

豊島から高松に帰る高速船の中、疲れて寝ている人も大分いた。先日観光船が沈没するという事故があったのに、ここまで安心して船に乗る人たちを見て、当たり前のようで安心して乗れる船にしてくれている船のスタッフの人達に🙏感謝した。

安心して生きられるのが一番幸せ。

そうはいっても陸に着くまで命の保証はない、と少し不安になりながら船内のヒビが入った窓から瀬戸内海の島に沈んでいく夕日を見た。普段は職場または家のデスクにかじりついていて陽が沈む瞬間なんて見る暇もない。いつの間にか沈んで夜になって今日も終わった…と思っている。
死ぬ間際に幸せな今日この日やこの沈む陽の光を思い出せたらなぁ、なんて思った。

瀬戸内国際芸術祭2022-春②豊島

 

2022.5.1

豊島

唐櫃浜エリア
9:07高松港発→9:57豊島-家浦港に着くなり、バスで唐櫃港まで。唐櫃港は島の北東部。

te15-B.心臓音のアーカイブ:クリスチャン・ボルタンスキー (2010〜)

2010年の時、帰りの船の時間の関係で諦め、見れなかった作品を今回やっと見ることができた。豊島でぜったい見たかった作品二つのうちの一つ。
ボルタンスキーさんは去年(2021年)に亡くなられている。
唐櫃港のバス停から徒歩で15分程度、人家を抜けて林の奥の海辺に小さな小屋があった。その小屋に、①心臓音に合わせて電球が点滅する部屋、②録音された心臓音を検索して聴けるスペース、③自分の心臓音を録音してもらえる部屋、がある。ガイドブックなどにも写真になっている心臓音に合わせて電球が点滅する部屋は、それ以外一切の照明がないので照明が光る一瞬だけ同時に部屋の中にいる他の鑑賞者の輪郭が見える。その一瞬と僅かな声を頼りにぶつからないように電球の方に進んで行ってみた。奥行きが長い部屋の両側の壁にはには額縁?鏡?のようなものが無数に貼り付けられている、先に鑑賞していたカップルが出て行ってしまい自分だけがその部屋に残される状態になると点滅の光が消えた時のあまりの暗闇に怖くなってきてしまって、ゆっくり鑑賞して細部まで見るのが難しく、ある程度で出てきてしまった。暗闇の部屋の前室にはその時流されている心臓の音の持ち主の名前が掲示されていた。人間の心臓音をアートに使っているのがそもそも生々しいのだが、録音された心臓音を検索して聴く体験の方はさらに生々しかった。名前や録音された場所、本人のコメントが記録されているので実際に生きている人だということにリアリティがあって、その中から選んで心臓音を聴くのだが、若者から年寄りまで個々人の心臓の音がヘッドホンから頭に流れ込む。自分の心臓音なら最近更年期障害気味で夜中に心臓がバクバクして目が覚めたりするので体の内側からの心臓音なら感じたことがあるが、耳から聞く音は全然違っていた。初めて聞いた人間の、他人の心臓音は想像していたもの(そうあって欲しいという願いなのか勝手にもっと穏やかなものと想像)とは違って、心臓単体の音のように思えなくて打楽器の音でも混じっているかのような破裂音が時々聞こえたり、音のボリュームとしては力強いがなんかいつ止まってもおかしくないような不定期な不安な音に聞こえて、心臓ってこんな音なの?体に血を巡らせる為にこんな音を出してるの?人間という生き物の見ようとしないで過ごしている部分、心臓の働き、いづれ死ぬということ、なんかを考えてしまって、先程見た暗闇の中で点滅した電球のイメージとも相まって、体内の暗い場所でこんな音を出して動く心臓を想像すると、とても好奇心で沢山の人の心臓音を聞きたいという気分にはならず、3人ほど聞いただけで少し重たい気分になってしまった。人間の心臓音を聴くのは恐ろしく、私にとってはあまり向き合いたくない体験だった。ここを訪れた人は自分の心臓音を録音してこの場所に半永久的に残してもらえる、そしてCDに焼き付けて持ち帰れる、というのだが、とてもそういう気分にはならなかった。が非常に興味深い印象深い作品。

te14.勝者はいない─マルチ・バスケットボール:イオベット&ポンズ (2013〜)

心臓音のアーカイブに行く途中に、この作品はあった。広場のようなところに大陸のような形の絵にバスケットゴールが何個も設置されている。バスケットゴールの背面のボードが大陸になっている、と言った方が早いか?若者たちがシュートを決めていて人が多かったので、近くまで行って見る雰囲気でもないので遠目から見て素通りした。

 

唐櫃岡エリア
唐櫃浜から先程バスで通り過ぎた唐櫃岡集会所前まで歩いて引き返した。歩ける距離だと思ったが急な登り坂なので結構キツい。まず、途中の豊島美術館前停留所まで辿り着く。この辺りからの海への景色は絶景。

豊島美術館前の道より

登り坂の上や道路横の棚田から見る広がる海、ここまで広いと人もまばらで密集しない。自然の大きさに比べて人間なんてゴミのように小さい。棚田最上段部にはベンチが置いてあって寝転んで時を過ごしている人もいる。豊島美術館沿いの丘でもそうだけど、人々はごろごろして何をするでもなくただそこで自然と時間の流れに身を置いているだけ。
この地から更に2、3分登ると唐櫃岡集会所前バス停にまで戻れる。

 

te12-B.ささやきの森:クリスチャン・ボルタンスキー (2016〜)

まずは心臓音のアーカイブからの流れで同じアーティスト、ボルタンスキーのささやきの森を目指した。"te10.島キッチン"を通り過ぎてそこからまた登り坂あり、更に両サイドが森の山道(登り坂)を歩くこと”15分”、と案内があった気がしたが、この徒歩の時間は大分個人差が出る様な気がする、正確な時間を測っていなかったので分からないが体感で30分位に感じた。上に体にを持ち上げて歩くので息があがった。いつまで歩いても着かないと思いながら大分歩いて、最後の案内のプレートを、ここまでの道案内にあった芸術祭の青地に白文字の案内でなく、そこだけ黒地に小さい白文字だったので視界にははいったが見逃してしまい、そのまま山奥に突き進みそうになった。何かが変な気がして数歩進んで引き返したら目立たないそれが案内で、居合わせたおじさんがこっちがそうだ、と声をかけてくれた。(一瞬、私に言ってると思わなくて反応がイマイチでした、ごめんなさい知らないおじさん。)そこから先は木々を分け入る、人とはすれ違えない様な小道で足場が大分悪くなった。足元に注意して少し歩いていくと急にリーンリーンと音がしてきた。辺り一面に人の名前が書かれた透明の短冊が揺れる無数の鉄の風鈴が鳴り響いていた。苦労してここまで歩いてきたことが報われる聞いていて心地いい音色。ここまで歩いて来て森の深くまで入ることも作品の一部で、人の名前が書いてあるということはこの風鈴は人の命を象徴しているのかもしれない。虫が頭の周りに飛んで付き纏われ気になり、虫に邪魔されなければもっとずっと聞いていたかった。帰り道、行きに気づかなかったけど通ってきた道の途中で既にささやきの森からの風鈴の音が届いていた。

te10.島キッチン:安部良(2010〜)

2010年に来た時、ここには寄ったかどうかよく覚えていない。(島キッチンの手ぬぐいはお土産で買っている。)外部の飲食スペースの屋根が胸あたりの低い位置にあり改めて見てみると瓦屋根だと思っていたが素材が木の板だったことを知った。

te09.あなたの最初の色(私の頭の中の解-私の胃の中の溶液):ピピロッティ・リスト(2011〜)

島キッチンの裏手。入場人数を制限しているので少しだけ並んだ。外見は小さな蔵の様な建物の中に見上げる高さに円のスクリーンが設置してあり、そこに花や人間、生命を思わせる映像が映し出されていた。作品の解説によれば幸福感を感じる映像、とのことだが蔵の中の暗さの中でどぎついカラフルな映像を見て、幸福感とは違う感情が沸く。

te08.空の粒子/唐櫃:青木野枝(2010〜)

豊島美術館に行ったら時間が早すぎるから(予約15:00、この時13:30位)案内出来ない、もう少し他の作品を見てきたらと言われて、こちらの作品を見るために結構距離があるのかと思って豊島美術館前→清水前へバスで引き返した。作品は清水前バス停の目の前にあり、どうやら島キッチンからも歩いてすぐでバスに乗るほどの距離では全然なかった。錆びた鉄筋のような棒で出来た何個かの円が同じく錆びた棒数本で天に向かって支えられている。円を支えてる棒が円から降る何かの様にも見える。

te08.空の粒子/唐櫃:青木野枝

te13-B.豊島美術館:内藤礼 西沢立衛(2010.10〜)

豊島で今回ぜったい見たかった作品二つのうちの一つ。
事前に15:00〜で予約していたが、以前直島の地中美術館では凄く並んだ記憶もあり、遅れてはならないと思うあまり早く来すぎて14:30前からチケット売り場の横で待機してしまった。コロナで人数制限していた?のか結果的には並ぶようなシチュエーションもなくそんなに早く来る必要もなかったのだが…。
美術館というからには、普通の美術館であれば美術品が何点か展示されてるのかと思いがちだが、作品としては水滴形状のドーム(アートスペース内)の内藤礼の母体(床から湧き出る水滴)という作品のみ。非常にシンプルだけれど、その分じっくりと自分の感情と向き合うことが出来る。

 

チケットセンターからコンクリートの小道に誘導されて明神山という小山をぐるりと回っていくと海側に出て、それから少し海を背にして歩くとアートセンターの入り口に至る。アートセンターに向かうまでの小道で間を設けて、導入の心の準備をするような、わざと迂回させて海側を周り、開けた明るい空間から薄暗い狭い穴倉に入っていく明暗、広い狭いの対比だったり、より感動が高まる工夫がされている。

アートセンターの外形の形状は水滴(を大きくした)とのことだが、色は白、水滴をビッグサイズにした大きな流線形のその建物の入り口の見た目はドラえもんの道具のガリバートンネルみたいなのだが、道具と違うのは中に入ると人がまばらに散らばる大空間が広がっていた。外側の水滴形状そのままが内部の空間になっていて、(屋根というか壁というかが厚さ250mmのコンクリートで出来ているらしい)屋根に空に向かって大穴が二つ開いている。内部に照明はなく、光はその二つの穴から降り注ぐ自然光のみなので、穴の下だけが日光の光でまぁるく照らされてそこだけ舞台のように明るい。内部も白色なので穴から注ぐ自然光が今日のような晴天では仄暗く隅っこの方まで届く。水滴の形状なので真ん中にいくほど屋根が高い。床のあちこちに開いている1、2mm程度の小さな穴から染み出してくるのか所々に泉(水滴)が湧いて、小さな水滴が纏まってコロコロと流れたり、静止していたりする。水勾配が付いていて水下にどんどん流れていく、というのでもなく、流れるでもなく留まるでもなく不思議な動きをしていた。どういう仕組みなのか、2つの大穴の下の光を浴びる場所には水溜りが出来ている。2つの穴は入り口から奥の穴が大きめでメインの穴、入り口から近い方が少し小さめの穴でサブの穴?とでもいうようにメインの穴の方に人が多く集まっている。サブ穴の周りは2.3人とか。穴の下の丸い光の空間を囲って鑑賞に来た人々が、ある人は光の間近で寝転び、ある人は人だかりから離れた日陰の場所で体育座りや正座をして光と水と穴から見える空と木々を眺めたり、床から湧き出る泉を眺めたりしてる。単純のようで全く飽きない。声や音を発すればとても響くので、子供が声を出しているのは可愛らしくて許せるけれど、大人で声を出している人はこの空間の楽しみ方を理解していない。これだけ人がいるのに大人は基本声を立てないので静かで、他人の邪魔にならないように自分の心の世界に浸っているようだった。

私は例によって人との距離をとりたい方なので、人との間隔をあけるべくメイン穴の中心にはちょっとは近寄ったけど行けずに、遠巻きに周りをぐるっと歩いた。足元を見ていないと小さな丸い彫刻を蹴ってしまったり水滴の固まりを踏むことになるので注意しながら歩く。
バスの時間を気にしないで済むのならもっともっとここに居たかった。そう、何時間とかゆっくり。またいつか来たい。外の丘といい、天国みたいな場所でした。

 

***
17:20の高松港行きの最終の船に乗るべく16:08豊島美術館前→家浦港のバスに乗り16:23くらいに着いたはずだが、既に17:20発の船の整理券は売り切れたとのことで18:10発の整理券を渡されチケット売り場の列に並んだ。この列が全然前に進まないし、ちょうどギリ屋根がないところで雨が降ってくるし(傘は持っていたが前後に人がみっちりいてさすにさせない。何故か前後とも日本人じゃない)足がかなり疲れていたのもあり、これから1時間半も立って船を待つのかと思うと少しイライラする。

その分待たされて船が来た時は嬉しかったケド。ちょうど夕日が沈む時間で船内から見た夕日が感動的でした。

 

なんとか高松港に帰ってきて、雨に打たれたこともあり身体が冷えてしまっていたので高松グルメを食べる気力もなく、本日もコンビニ飯で、終了とする。

 

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瀬戸内国祭芸術祭2022-春①沙弥島

2022.4.30

沙弥島(春会期のみ)

JR予讃線坂出駅で下車、シャトルバスで沙弥島案内所まで。沙弥島は瀬戸大橋の高松側の足元に位置している。

sm01.階層・地層・層:ターニャ・プレミンガー (2013〜)

2ルート頂上までの道がある芝で覆われた6メートルの小山。2016年に来た時は人がいっぱい居たので、小山に登らなかったが今回は人がちらほら程度だったので登った。ちょっとだけ高いだけなのに見下ろすと気持ちがいい。山頂から瀬戸大橋を眺めたりしていると瀬戸内海に来れた実感がわく。山頂はちょうど一人が立てる分のスペースしかない、山頂までの道はすれ違えない幅の道なので登ってくるor降りてくる人とぶつからないように2つある道の一つを選んで登るor降りる。

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山頂にカラスが一時止まっていた。カラスよ、芸術祭にわらわらと集まってくる人間を見て何を思った?自分もそうだけど芸術祭だからと言って各地からここに人が集まってくるのが面白い。

sm11.幻海をのぞく:南条嘉毅 (new!)

この作品はなんか心に刺さった。古い洋館の部屋を使った照度がかなり低い暗いインスタレーション作品で、明るいところ(海辺)から暗いところ(会場:古い洋館)へ入ったせい、とマスクをしてるのでメガネが曇ったせいで最初ほとんど何も見えなくて何が展示されてるのか分からないわ、足元は全く見えないわでお化け屋敷のようで前に進むのが怖くてしかたなかったのだけど、徐々に目が慣れてきて落ち着いてきたところで、順路の折返しのところにあった古い朽ちた鏡台の鏡を覗くと先程歩いてきた瀬戸内海の海辺が見えた。なぜ鏡を覗くと海が見えるのかといえば、海側を背にこの鏡台は配置してあり、鏡の裏側の塗料を削ってガラスだけにした部分から海が見えるようになっている。その見せ方が、汚れのないクリアなガラスからであれば現実とほぼ何も変わらない海が見える訳だがそうではなくて、暗い室内から曖昧に削り取った完全に透明でないガラスから見える海はぼんやりと見えにくく、時空の違う異世界から現実を覗いているようだったり、或いは鏡の中に想像のもう戻れない思い出の海が映っているかのように見えたり、そんな風に海が見えた。他にも古いレコードプレーヤー?からは海の波の音が聞こえたり、ラジオ?からは時計の針の音がした。(なにせ暗いのでレコードプレーヤーだったのかラジオだったのか定かではない。)局所を照らす光の使い方と時間の経過を感じさせる古いものの組み合わせ、あと音。音と暗さの効果で現実が遠ざかりセピア色の映画中に紛れ込んだかのような、不思議な世界の中に入れて面白かった。

sm12.月への道:レオニート・チシコフ (new!)

結局行かなかった去年のいちはらアートミックスでこの人の作品が小湊鉄道の各駅にあった気がする。北川フラムさんの芸術祭(瀬戸内国際、大地の、いちはら)は同じアーティストの作品が多い。この人の作品は月、宇宙をテーマにしている。旧沙弥小中学校が会場。

雪の天使
入ってすぐは映像作品、天使の羽をつけた作者が雪山を登って行きダイブする?空に太陽の様な星が描かれていて、吹雪く雪の中の孤独な人の背中、太陽の黄色、絵本のようで星の王子さまを想起して、うっすら寂しさを感じた。

人類の宇宙への移住
もう亡くなった人々の顔が宇宙空間の様な暗闇の中に光って上昇しつつ小さくなっていく。宇宙に小さく消えていく様は命の寿命を表しているように思え、古い写真や既に亡くなっている人の写真を作品に使われると儚い命の虚しさを感じる。

地球での最後の夜
3部屋に区切られた場所にそれぞれ展示。
1部屋目がよく覚えていない。2部屋目はチシコフさんの作品のシンボルのような宇宙服の人が座っていた。3部屋目は足元が砂、スリッパに履き替えて中に入る。床に家族の写真が置かれスポットライトが当たっている。題名からこの家族の誰かが宇宙へ行ったのか?

月への階段 あるいは柿本人麻呂の月
室内から外部に出て。階段の上に三日月を配した立体作品。三日月がアメリカアニメのチーズみたい🧀。家族連れの人達が子供が登り写真を撮ったりして楽しんでいた。柿本人麻呂の月、とは万葉集のこの歌の月のことであろうか?

天(あめ)の海に

雲の波立ち月の船

星の林に

漕(こ)ぎ隠る見ゆ

KETsの星
学者KETsの発明した宇宙ステーション、宇宙船の模型や科学者として監修した映画が展示されている。黒板に貼られた鉛筆画がファンタジックで可愛い。宇宙に対してのあくなき情熱が感じられる展示。

何世代にも渡って人々は宇宙に挑戦してきた、今もなお宇宙に魅了されている人がいる。神秘的な月、宇宙に魅せられる気持ちも分かる、と作品を見終わって思った。

 


sm10.八人九脚:藤本修三(2013〜)

sm12-1.月への道:レオニート・チシコフ(new!)

沙弥島エリアの上記2作品は2016年に見ている、会場が遠い(与島)の理由で鑑賞しなかった。

 

***

高松港周辺

シャトルバスにて坂出駅へ戻り、JR予讃線高松駅へ。まだ明るいうちに高松駅に着いた。

tk04.待つ人/内海さん:本間純 (2013〜)

高松駅高速バスチケット売り場の正面の石のファサードにその位置の石を転写したアルミ板が時計と人の輪郭になって浮いている。見る角度によっては石の形、割れ目が一致していているので背景の石と同化する。見落としがちだが建物側面にはスーツケースもいた。

 

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高松グルメ(うどんは何度も食べてるので骨付き鳥が目当て)は明日でも良いか、と思いコンビニ飯を買いホテルにチェックイン、本日は終了。

 

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あいちトリエンナーレ2019 情の時代 感想③愛知芸術文化センター

あいちトリエンナーレ2019の感想を綴っております。

 

2019.9.14つづき

見残している作品に気づいて名古屋市美術館から再び愛知芸術文化センター(8階)へ戻る。

※A21、22、27、28、30は”表現の不自由展、その後”の展示中止の抗議の為、この時は展示一時中止

※A23は8/3から展示中止

 

愛知芸術文化センター(8階)

A18c.継ぎ目のない移行 :ジェームズ・ブライドル

見たけどよく覚えていない

 

A19.「tsurugi」「peak」:今村洋平

シルクスクリーンの作品ってやったことないからその凄さがイマイチ何時も分からない。

 

A20.日常演習 :ユェン・グァンミン

ドローンなのか空から、毎年春に行われる防空演習で人が居なくなった街を撮っている作品。台湾人ならその人の年齢でこの映像から感じることはまちまちとのことだが、私は無人の街の空を飛んでる感覚。ただ、航空機の音と人のいない街が不気味。

 

A21.チャイルドソルジャー :パク・チャンキョン

※展示一時中止(展示室の閉鎖)

 

A22.ボックス:独房のティーンエイジャーたち :CIR(調査報道センター)

※展示一時中止(展示室の閉鎖)

 

A23.表現の不自由展・その後(表現の不自由展・その後)

※8月3日をもって展示を中止し、企画展の実行委員会と事務局が今後も協議していく方針が確認されています。

 

A24.原子力の時計 :スチュアート・リングホルト

どういう仕組みなんだ?10億年先まで動く時計って。

 

A25.「FedEx」「トラベル・ピクチャーズ」:ワリード・ベシュティ

これはなんだろ?ダンボールの中と同サイズのガラスのボックス。

 

A26.進化の衰退 :パンクロック・スゥラップ

これあんまり見てない、デカイ版画作品。

 

A27.歩行者 :ハビエル・テジェス

※展示一時中止(展示室の閉鎖)

 

A28.ニュースの終焉 :イム・ミヌク

※展示一時中止(展示室の閉鎖)

 

A29.Gesture of Rally #1805 :澤田華

オフィスの写真に映り込んだ得体の知れない形のものを何であるか、規定する独特なアート。

 

A30.43126 :タニア・ブルゲラ

※展示一時中止(展示室の閉鎖)

 

A31.  :ミリアム・カーン

見たか?覚えてない。

 

A32.Conflagration :藤原葵

???見てないか?

 

A33.ラヴストーリー :キャンディス・ブレイツ

ヘッドホンを耳に当ててみる映像作品だったが、耳に当てたら音が大きくて小さくする方法が分からず、嫌になったので見なかった。

 

A35.ステージの幕 :ピア・カミル

吹抜けにダラっと下がっていた。大きい作品。あんまり見てない。

 

 

疲れてしまった為か、集中して鑑賞していない。

栄町から夜ご飯の場所を探しながらホテルのある伏見の方へ歩く。名古屋っぽい飯が食べたいと思って探してたけど、鶏肉は食べる気がしなくて。(ホテルにチェックインしてから気づいたけど、寒気がして体調が悪くて食欲がなくなってたようだ。)伏見駅の地下に時代を感じる呑み食い屋横丁みたいなのを見つけた。チェックインが20時を予定していたのでまだまだ時間があって、何か食べたい。ホテルの場所を探してるうちにスマホの電池が切れかけてきた。電池が切れたらホテルの場所も分からなくなるので飯屋を探してウロウロするのを断念して、ホテル近くのコメダ珈琲店で我慢することにする。(さすが、名古屋、○○珈琲店がやたらにある。上島、岡田…)

 

☕️コメダ珈琲店:コメダグラタン

 

明日は豊田市美術館へ。

 

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あいちトリエンナーレ2019 情の時代 感想②名古屋市美術館

あいちトリエンナーレ2019の感想を綴っております。

2019.9.14つづき

お腹が空いたので、櫃まぶしを探しにオアシス21に行ってみるも櫃まぶしの店はない。

次の目的地の名古屋市美術館に行く途中の三越の方に歩いていくと地下街に櫃まぶしのお店を発見。櫃まぶし(3700円)とミニ櫃まぶし(3000円)というメニューがあり、3700円は流石に破格すぎると思ってミニにした。そっちでも十分満足。ネギとわさびを加えて食べるのも、お茶ダシでお茶漬けにするのも美味しい。うなぎの焼き加減が関東よりカリカリしてる。

 

🍱松月サカエチカ店:ミニ櫃まぶし(3000円)

 

さて黒川紀章設計の名古屋市美術館へ。

秋の空気っていうか、少しは暑いんだけど風が吹いたり木陰に入ると緩和されて外でのんびりするのに丁度良い。美術館前の公園で少し休んだ。公園に色んな人がいて、ダンスの練習をしてる人らがいたり…ゆったりと一人で過ごす休日の、まさに幸せな時間。

 

※N04、N11は”表現の不自由展、その後”の展示中止の抗議の為、展示一時中止

名古屋市美術館

N12. アフリカ 西欧のゴミ箱 :バルテレミ・トグォ

美術館に入る前に外のゴミ箱に作品が。ゴミ袋の柄がヨーロッパの国旗になっていたような?あまりよく見なかった。

 

N01.「ガラスの中で」:碓井ゆい

天井から吊るされた円筒(作品説明には巨大なシャーレ🧫にも見える、と書かれていた。)の底面にピンク調のアップリケが施されている、赤ちゃん用の服とかにありそうなデザイン。

 

N02.生き残る :今津景

あまりよく見てない、わーっと絵が描かれていた。

 

N03.無情 :藤井光

戦時中台湾人を日本人化するために台湾人にさせていたことの映像とそれを再現した現在の外国人労働者の映像が同時に流されている、台湾人に限らず個人を個人として扱わない昔の価値観は、今の時代からすると狂ってるように思えるが、独裁で人を従わせるには罰を与えて恐怖心を植付け支配するしかないんですね。日本人の感情を抉るような作品だが、見たくないものも時にはこうして見なければならないし、やはりアートはどんなことでも規制無く表現するべきなのかもしれない。

 

N04.The Clothesline :モニカ・メイヤー

※展示一時中止(展示内容の変更)

女性差別を感じたことを前もって一般の人にアンケートをしてそのピンクの小さい紙面を一面にぶら下げてあったのが元の作品だったようだが、今回の"表現の不自由"騒動で一部の他の作家の作品が展示出来なくなったことを受けて、抗議の意味で、それらの紙を破いて床にばら撒いてあった。該当作品の展示が再び可能になれば、元の状態に戻す、そうだ。

作品で見せることで抗議する、っていうのはアーティストらしい抗議の仕方かもしれない。それでこそアーティスト。

 

N05.五重塔/壷ほか :桝本佳子

覚えてない。見てないのかも。

 

N06.サイコマジック:アレハンドロ・ホドロフスキーへの手紙

アレハンドロ・ホドロフスキーのソーシャル・サイコマジック」:パスカレハンドロ(アレハンドロ・ホドロフスキー&パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー)

覚えてない。

 

N07.1996 :青木美紅

人工授精で誕生したという作者の生い立ちを背景にした作品で、見た目がざわざわした賑やかな作品だけど内容が重い。複雑な心境が混沌と狂乱した空間に表されていると解釈。

 

N08.Portrait of a woman passinng by   :タニア・べレス・コルドヴァ

むむむ。空間の使い方、間とか置いてあるものがなんだかよく分からなくて、面白い。

 

N09.Sholim Inspired by Tokyo/Story :Sholim

ルネ・マグリットみたいなアート。あれは手描きの油絵とかだけど、こっちは現代、デジタル。

 

N10.Shoum :カタリーナ・ズィディエーラー

英語の音楽を英語が分からないセルビア人の男二人が音を聞いて言葉に置き換える作品。作者の生い立ちに背景があるようだ。

 

N11.ロミオ :ドラ・ガルシア

※展示一時中止(展示内容の変更)

愛知芸術文化センターで一番最初に見た作品と同じ。抗議のためにポスターの真ん中に貼り紙がしてある。

 

見落としていた作品があることに気づき、愛知芸術文化センターに戻ることにする。

 

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あいちトリエンナーレ2019 情の時代 感想①愛知芸術文化センター

あいちトリエンナーレ2019の感想を綴っております。

 

2019.09.14

初めて名古屋に来た。名古屋駅では降りず愛知芸術文化センターの最寄駅の栄町まで地下鉄東山線で行く。地下鉄案内による出口を出ると、目の前に芸術文化センターと、あいちトリエンナーレの駅のポスターに載っていたオアシス21があった。

まずはチケットを買いに芸術文化センターの10階に。2日以上観る予定なのでフリーパスを買う。(あいトリはスタンプラリーは無いのね…無くても良いんだけどアレがあると今どれだけ作品を見終わったか、何を見てないかが一目で分かるんだけどね。)

 

※A01a、A01b、A04、A07は”表現の不自由展、その後”の展示中止の抗議の為、この時は展示一時中止

 

愛知芸術文化センター(10階)

A01a、A01b.ロミオ :ドラ・ガルシア

※展示一時中止(展示内容の変更)

数名の男の人達が映る数枚のポスターに意味深な説明文がある、ここに映る人物達が会場内にいて親しげに話しかけてくる、とか。

今回の騒動(”表現の不自由展、その後”の展示中止)に対しての抗議の張り紙が中央に貼ってあり、背景のポスターが本来の作品なのか講義のために差し替えたものなのかは分からない。

 

A02.The Kiss :エキソニモ

巨大な2つの手にスマホが持たされていてそこに映っているのは人の、目を閉じた顔、その画面をくっつけ合わせてるので、両面とも観るとモニターに映った顔がキスをしているように見える。間接的なコミュニケーションの何かを表しているのか?

 

A03.欲望の構造 :アマンダ・マルチネス

厚みのある決まった形状のものを繰り返しに何枚も重ねて、寄せ集めて一つのものにしている、1作品ごとに色は単色。エンジであったり、白であったり…

単調のようで変化がある、みる角度によって凹凸が見えてきたり、単純な繰返しなのに見ているうちにだんだん引き寄せられる。

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A04.LA FIESTA#latinos in japan :レジーナ・ホセ・ガリンド

※展示一時中止(展示内容の変更)

暗転されていて見れなかった。

 

A05.60分間の笑顔 :アンナ・ヴィット

8人のスーツを着た西洋人の男女が笑顔で60分間の立ち続ける映像作品。作品の説明を読んで映像を見ていると、笑顔で立ち続けていることが苦痛に感じているようにも見えてくるが、説明を読んだせいでそう見えるように誘導されてしまっていたのか?

最後まで60分見続けることが出来たら何があったのか?名古屋までの新幹線で約1時間半立ちっぱなしだったので、この時点で足がすでに痛すぎで多分15分くらいしかここにいることが出来なかった。立ちながら見てる自分も15分だけでも、彼らのように?辛かった。

 

A06.孤独のボキャブラリー :ウーゴ・ロンディノーネ

まるで今にも動き出しそうな45体のピエロの彫刻一体一体が一人の人間が1日に行う孤独な動作を示しているそうな。カラフルで楽しげな衣装のピエロが静止して寝ているかのように目を閉じている。このピエロの合間を歩いて鑑賞する。

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ピエロの横に座って同じポーズをして写真を撮ったり、例によってインスタ目的で写真を撮ってる風な人をみかける。このピエロなんで今にも動きだしそうなんだろ?コンテンポラリーダンスのような舞台芸術の中に入り込んでしまったみたいな、不思議な感覚。ピエロの顔はお面になってるので一様な表情なのに感情を何かを隠してるようにもみえる。マネキンとか彫刻だと認識していれば動かないに決まっているのに、如何にも”彫刻”っていうそれとは違う。

 

A07.…でも、あなたは私のものと一緒にいられる… :クラウディア・マルティネス・ガライ

※展示一時中止(展示内容の変更)

暗転されていて見れなかった。

 

A08.「Function Conposition」「Semantic Segmentation」Transation Zone :永田康祐

実物と、実物を撮った写真の印刷物を重ね合わせていて、それがさらに印刷物として作品になっている。

 

A09.「2と3、もしくはそれ以外(わたしと彼女)」:石場文子

日常にある風景の写真の一部が縁取りされることで、そこに目がいったり、或いは後から付け足された様にも見え、一味違う見え方になり、題名とも相まってその風景に作者は何を見たのか、想像してしまう。

 

A10.Decoy-walking :村山悟郎

手前の部屋はスマホの顔認証の不思議をテーマにした部屋、奥はあまりよく見てないが、人間が歩くことに注目した作品。

 

A11.抽象・家族 :田中功起

見た覚えがない

 

A12.モダンファート 創刊号

特集 没入感とアート

あるいはプロジェクションマッピングへの異常な愛情(伊藤ガビン)

※整理券を入手して時間が来ないと見れなかったので、見なかった。

 

A13.Stranger Visions, Dublin: Sample 6 :ヘザー・デューイ=ハグボーグ

作品の説明にある、街中に落ちているゴミからDNAを採取してそれから3Dプリンターで顔を再現する、ってどういうことだろう?理屈もわからないし、想像に難しい。

が、神経症的発想かもしれないが私も以前から家庭のゴミを出す時に汚物や髪からDNAを採取できるんじゃないか(サスペンスとかで見たのかもしれない)と思い、ホテルでも髪を残していくことにあまり良い気分はしないので、いつの間に採取されて自分のクローンが生み出されてたら怖いな、と思っていたが、それに近いことがアート作品としてこうして出てくるとは。

ネットで調べたらアーティストからのこういうコメントを見つけた。

「多少気味が悪いと思われても構わない。狙いはこの問題を認識してもらい、こんなことが可能だと知ってもらうことにある」「このプロジェクトの意図は芸術と技術と科学が交差する部分での探究であり、挑発でもある」

今回の芸術祭はなかなか近代的な科学技術の進化などの発想の作品が多い。アートなんだか科学なんだか、表現の手法としてはアート、なのか?

 

A14.ラストワーズ/タイプトレース :dividual inc.

何人もの人が遺言を大事な人宛に書く過程をコンピュータが記憶して画面で見せてる作品。この作品の為に死ぬことを想定させて書かせたのか?まさか実際死ぬ人に書かせたってことはないだろうから、文面に少し感情移入しにくい。泣かせるためにやってるわけじゃないよね、一個一個全てを読めば何かが伝わってきたか?あいにく近くにあるモニターの数人の遺言しか読まなかった。

ちょっと足が疲れてきた。

 

A15.Untitled(Static):シール・フロイヤー

※この作品は見落とした。奥の突き当たりにあったような?作品なのか、建物の一部なのか分からなかった。

 

A16.「なにもない風景を眺める」 ほか :文屋有佳里

黒い細い線だけで描いた動きのある何を描いてるのか分からない独特な絵、この部屋に入った瞬間に展示室の一番奥の面の展示が、昔、自分が美大時代に作った作品に似てる、となんとなくと思った。作品が飾られているガラスケースの面、つまり手前にも黒い線で絵が描かれていて、手前の絵を透過して後ろの絵が見えて、前と後ろで重なって絵になってる。

 

A17.「その後を、想像する」:菅俊一

次はこうなるんだろうと想像してしまう人間の脳の不思議を題材にしたアニメーション、こういうのは一般的に分かりやすいよね、って裏側に隠された深い意図があるのか?嫌、深く探るも良し、見たまま感じたままでも良し。

 

A18A、A18b.ドローンの影 :ジェームズ・ブライドル

10階の窓から見下ろすと建物入り口の前のスペースにドローンの影を模ったラインが大きく描かれていた。下を歩いてる時は全く気付かなかったけど、こんなのが描かれていたのね。影を描ける技術の面白さ、だろうか?

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次は名古屋市美術館に向かう。

 

konekono-a-chan.hatenablog.com

 

 

瀬戸内国際芸術祭2013-もう見れない!過去の作品の感想①-小豆島

もう見れなくなってしまった瀬戸内国際芸術祭2013、小豆島の作品の感想です。

 

醤の郷/坂手周辺

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瀬戸内国際芸術祭2013公式ガイドブックより

081.醤油倉庫レジデンスプロジェクト:織咲誠/小山泰介

元倉庫だったところに、アート(織咲誠)と写真(小山泰介)を展示。始め、壁面に飾られた大きな写真にばかり目が行き、部屋のところどころに立っている白い柱に目が行かなかったが、それらもよく見ればアートであった。写真の方は七色の写真シリーズと醤油の拡大写真シリーズ。普段見えているものが、拡大することによって全く違うものに見える、説明がないと"それ"が"それ"と分からない、そういうちょっとした驚きみたいな作品。

アートって何なの?っていう人がいるけど、他人の目から世の中がどう見えているか、どう感じられているのか、何に注目しているのか…それを見て興味深い、面白いと思わない人は、きっとアートって面白く無いんだろう、と思う。

083.小豆島町コミュニティアートプロジェクト:小豆島町民+山崎亮+studio-L

場所が醤の郷だけに、醤油を使ったアート。お弁当に入っていた醤油とかソースのプラスチックの1回使い切りの容器に、濃度の違う醤油を入れて、濃淡をグラデーションになるように、壁面いっぱいに並べた作品。

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茶色の濃淡は醤油の濃淡なのだ。

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小豆島町民が製作に参加している。容器に醤油を入れただけじゃ、アートでは無いけど、それらに濃度で色を変えて、大量に壁いっぱいに並べた…その時点で見る人の心に動きや変化が起きる。見に来た人は、???と思って遠くから見て近くから見て…。

086.小豆島のカタチラボ:graf

醤油の匂いが漂う通りの折り返し地点の元民家にて、小豆島の気になるカタチを取り上げて展示。例えば、島の断面や、島で聞こえる音、映像。(暑さと空腹であまり鑑賞に集中できていない。)ただ、やはり、島の元民家という都会に住む人間にとっては非日常の不思議空間で、展示を見るだけでも面白いと思うのは私だけか?逆に島民が都会に来たなら、我々の日常は非日常で面白いと思うのだろうか?それとも人が多くて息苦しいと思うのか。

ところどころ足早に過ぎているところがあって、勿体無い。芸術鑑賞は感じることが目的だから、感じ、そして余韻も大事にしたいので、それなりに時間が必要なのに、計画にそもそも余裕がない。

三都半島

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瀬戸内国際芸術祭2013公式ガイドブックより

065.つぎつぎきんつぎ:岸本真之

三年前に見逃した作品。お皿の端を欠いて、何枚かのその部分を金でつなぎあわせて(金つぎ)ボールやタワー状になったものが幾つも集められて展示されていた。暗い部屋でスポットライトを浴びて、金を使った作品なので、展示の仕方も作品をより美しく見せている。

066.讃州土産巡礼:小山真德

失礼ながら、時々アートなのか?ガラクタなのか?と疑問に思うような少し汚い作品があるが、この作品はそれで海で見つけた漂流物(ゴミ)を展示しているのだから、そう思われても已むを得ない。未だにそれが何なのか理解していないが、小豆島で有名な八十八か所巡りをし、その旅で見たもの(映像、漂流物)、感じたこと(日記)を展示した作品。金田一耕介の八つ墓村のようなおどろおどろしい感じがしてしまうのは、白装束、笠等の衣装のせいだろうか。

071.花寿波島の秘密:吉田夏奈

雑誌にも載っていて、人々が目当てにしていた作品。中央に潜って見上げるか、上に登って見下ろすか?…見下ろした方が綺麗だったかもしれない。 私は、一人づつしか上にいけないシステムで人がいたので諦めてしまったけれど。あんまり近距離に人がいると人が気になって鑑賞に集中出来ない。

076.小豆島Story of the Island:東京藝術大学プロジェクト

います:山田沙奈恵

8畳位の床一面の紙に一方向の線(シャーペン)の濃淡だけで表現した作品。中央には鏡を意味する銀色のお皿が置かれている。こういうシンプルな作品は、不思議と印象深い。見た人が想像する余地がかなりあるからか。

074.stories-House-:赤坂有芽

薄暗い民家の中で、鯉、少女、水etcの映像が、襖、床の間の掛け軸、畳に映し出される。

070.神様のおなら:臼井英之

海に神様のオナラ、泡(あぶく)が浮き上がるアート... だったが、昼夜、人が近づかないようにする等の管理が難しい為に、私が行った時は海から装置が撤去されてしまっていた。海沿いにある撤去された装置と説明文を見て、少しかなしく、残念だった。こういう場でのアートは維持するのも人の協力あってのもの。色んな考えの人が共棲しているのだから、否定的な人、協力的でない人もいてアーティストの思いが通らないこともある、のは分かるのだけどアートファンとしては少し寂しい。

近くの休憩所で撤去前に撮った映像が見られた。